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板倉「雷電神社」のページでも紹介した、三つ葉葵と徳川家。もう一つ徳川家にゆかりの深い場所がある。
駆込寺「満徳寺」は徳川家発祥の地、太田市徳川町にある。
寺に残る記録によれば、鎌倉時代、徳川義季(よしすえ)が建立したとされる尼寺。
その後、江戸幕府公認の「縁切寺」となる。これには、徳川家康の孫娘、「千姫」の入寺も関係しているとか。
縁切寺は、ここ満徳寺と、鎌倉の東慶寺の二つだけ。今で言うドメスティック・バイオレンスなど、夫からの不法な被害を受けた女性を救済するための、裁きの場所だった。
当時は、女性から離縁の申し立ては出来ず、夫からの「三行半(みくだりはん)」が必要とされた。縁切寺は、その夫に対して強制的に「三行半」を書かせることができたのだという。
話を伺いに訪れた際、こころよく説明に応じてくれた高木館長。
彼の脇の、絵の中の女性が駆込んだ門の先に見たものは、心強い門番と、本堂へ伸びる“ありがたい”石畳だったに違いない。
ところで、もう一つの縁切寺「東慶寺」との違いは、女性が駆込んだ後の、夫の心理をついた“合理的”な離縁のからくり。本来、女性は尼寺で25ヶ月の在寺期間を経なければ、離縁に至らなかった。つまりその間は夫婦とも離婚も再婚も出来ない。ところが「満徳寺」では実質的には数ヶ月で離別できたという。これまでの縁をきれいに白紙に戻したら、明るい将来のご縁を見つけに歩き出す。まさに現在の家庭裁判所。
資料館には「縁切厠(かわや)」がある。水溶性の願掛札に、縁切願と縁結願を書いて流すと、成就するらしい。
「独身と縁切」→「良縁と縁結」、「浪人と縁切」→「目指す学校と縁結」、「ボギー・ダボと縁切」→「イーグル・バーディと縁結」、「借金と縁切」→「商売繁盛と縁結」等等。

館長の高木氏は、駆込寺と三行半(離縁状)についての研究一筋でやってこられた日本の第一人者。本などを執筆する傍ら、資料館の来館者にも希望があれば、展示資料の説明をしてくれる。
「私が言うのも変なのですが、その説明が、すっごくおもしろいんです。解かりやすいですし、是非聞いて欲しいです。こちらにお越しの際は、予め電話などで館長在席の確認をしてください」とは、同館職員の桜木さん。良縁の為にも是非伺いたい。

DATA
縁切寺満徳寺資料館
【住所】〒370-0425 群馬県太田市徳川町385-1
【開館】 9:30〜17:00 【休館】 毎週月曜日ほか
【TEL】 0276-52-2276 【FAX】 0276-52-5311
【URL】http://www8.wind.ne.jp/mantokuji/
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