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写真でご覧のとおり、現在では文字どころか墓石の角すら削り取られてしまった、国定忠治(長岡忠次郎)の墓石。
無宿にして博徒、任侠をもってその名を知らしめた国定忠治が、大戸の関所(群馬県吾妻町)で磔(1850)を演じてから、150有余年が経つ今も、参拝者は今でも後を絶たない。
同じ博徒であり同じ時代を生き抜いた清水次郎長とは正反対の、アウトローな人生を選んだ彼の眼光は、今でも鋭く現世を見据えている。享年41歳。

幕府統制の行き届かなかった近隣の村々を、「天保の大飢饉」から私財をなげうって助け、二十歳過ぎには、子分その数30を超えたともいわれる。
上州群馬国定村のブラックヒーローとは、どんなツワモノだったのか。

「赤城の山も今宵限り・・・ 生まれ故郷の国定村や縄張りを捨て、国を捨て・・・ 可愛い子分の手前たちとも、別れ別れになる門出だぁ・・・」
    「そういや何だか、嫌に寂しい気がしやすぜ・・・」
        「カァ〜、カァ〜」
    「ああ・・・。カラスが鳴いて、南の空にとんでいかぁ・・・」
「月も西山に傾くようだ・・・」
    「俺ぁ、明日からどっちへ行こう・・・」
「心の向くまま、足の向くまま・・・ 当ても、果てしもねえ旅へ立つんだ・・・」
おなじみ、先代虎造のくだり。
親方には忠義を忘れず、子分には思いやりを忘れず、
場内の博打場を手中におさめ管理し、仮にいかさまが有れば、それを正すといった、十手を持って「二束のワラジ」を履いていた忠治若親分。つまり、自らの経験を活かした監督省役だった。
削り取られた墓石は鉄の柵で囲まれている。それがなんとも物悲しい。墓石の隣りには巨大な「長岡忠治(忠次郎)之墓」と刻まれた墓碑。法名は「長岡院法誉花楽居士」。
忠治の首を国定村養寿寺に持ち帰り供養したのは、忠治の師で住職の法印貞然と言われている。
寺の住職が、重罪人の遺体を、役人の目を盗み、こっそり持ち帰って供養するなど、忠治は死してもなおブラックヒーローであったと言えよう。

DATA
天台宗金城山養寿寺
【住所】〒379-2221 群馬県伊勢崎市国定町1-1235
【TEL】 0270-62-2306
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