昭和17年哲義少年は左官屋の4代目として生まれる。 親の背中を見て、当然進むべき道は左官屋と決めた。誰に強要されたわけでも、家業のプレッシャーからでもない。親父が操る鏝(こて)から真っ白な壁が出来上がっていく様を見ているのが好きだったという。いつか自分も親父のようになれたら・・・と憧れた。
高校卒業後、憧れは厳しい現実となる。親元を離れ住み込み修行が始まる。
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修行時代の苦労話を聞かせて下さい
修行ですよ。(笑) 苦労が当たり前じゃないですか。(笑) 全て自分の為になるんです。苦労を苦労だなんて思ったことは一度もありません。
修行の傍ら技術向上のため、東京都左官共同職業訓練校に通う。常に勉強。努力を惜しまない。
自分では努力してるなんて思ってませんね。頑張ってるとも思わなかった。他人から見たら、大変だなぁ、無理してるなぁって思われてたかもしれませんけど。でも、やってきた事は全て当たり前。ただ、それだけのことです。
数々の技能競技会で賞を受け、昭和43年に一級左官技能検定に合格する。感性あふれる長谷川さんの仕事栄えは、作品と評される程芸術性に富んでいる。その、完成作品のひとつひとつに職人としてのこだわりと心意気が感じられる。
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