中島飛行場から現在の(株)SUBARUにいたるまで、日本を代表する工業の町として栄えた太田。一見無関係に思えるこの工業が、太田焼そばを根付かせる基となりました。
太田に焼そばが広まったのは戦後。
ラビットスクーターやスバル360などのヒット商品を生み出していた(株)SUBARUや関連会社には、全国からの多くの人が出稼ぎに来ました。この人達が、太田に焼そばを持ち込んだのではとされています。
焼そばは安くてボリュームがあり、汁がないのでのびることがなく、いつでも気軽に食べられることが、工場で働く人達に受け入れられた要因でもあるのでしょう。
昭和20〜30年代には、「子育て呑竜さま」で知られる大光院参道に、屋台はじめ数多くの焼そば屋があったそうです。